三国志攻略4日目
前回は191年の1年の様子だったので今回は192年の1年に挑戦します。
前回の様子はこちらから↓↓↓
前回終わりに引き抜いた周瑜ですが
忠誠が低いのですぐに
金1000をほどこして上げました。
2月に見てみると
忠誠75まで上がったのでしばらくは安心です。
あちこち良い武将が居ないか調べていると在野に麋芳が居たので
引き抜きました。
最近の麋芳は能力いまいちですが初期の麋芳は
武力85もあるんですよね♪
忠誠低いのが気になりますが(^^;
3月の劉備軍の番を待っていると41国の孫堅軍が33国の劉表軍に攻め込んだのですが負けて34国に逃げたその後に・・・
孫堅が亡くなりましたΣ(・□・;)
史実っぽい(^^;
後継は孫策だと思っていたら
何故か黄蓋でした。
もしかしてと思い33国を見てみると孫策が居たのですぐに
引き抜きました♪
他にも沢山捕まっていたので引き抜きたい所ですが
他の国も狙ってるみたいですね(^^;
4月になりさっき引き抜いた孫策を見てみると
忠誠94なので安心ですね。
それにしても知力89武力98は強いですね♪
ここでまた33国から
呉軍だった蒋欽を引き抜き
忠誠は高いのでこちらも安心ですね。
これで33国の捕まっていた呉軍はいなくなったので
5月は開発しました。
6月の劉備軍の番を待っていると7国の曹操軍が12国の袁紹軍に攻め込んだのですが負けて29国に逃げていました。
また誰か捕まっていないかと12国を見てみると夏侯淵がいたのですぐに
引き抜きました♪
7月に入り疫病が発生したのですが
関羽が納める15国に来てしまいました(>_<)
7月の劉備軍になり先ほど引き抜いた夏侯淵を見てみると
忠誠87あるのでしばらく大丈夫ですね。
7月になり資金が入ったので
少し低かった周瑜の忠誠を金1000で上げました。
7月の関羽の番になり疫病の被害はどれくらいあるのか見てみると
兵士数めちゃくちゃ減ってるんですけどΣ(・□・;)
董卓軍と隣接してるので攻め込まれたら嫌なのですぐに
15000の兵を雇って配分しました。
8月にそろそろ周りの空き地を領土にしたいので引き抜けそうな武将を探していると劉表軍に甘寧が居たので周瑜が引き抜けると言うまで繰り返していると
無事引き抜きに成功しました。
軍師周瑜は有能ですね♪
9月になり先ほど引き抜いた甘寧を見てみると
忠誠58はちょっと不安ですね(^^;
資金は少ないですが
甘寧に金500をほどこして忠誠を上げました。
10月になり一応打倒は董卓なので董卓軍の武将を減らすために
董卓軍の陳紀を引き抜き11月には袁術軍に孟達がいたので
孟達を引き抜きました。
順調に武将集まっているのですが
孟達は太守だったみたいで国ごと引き抜いてしまいました(^^;
一緒にいた武将は在野に下るんですね。
とりあえず孟達の忠誠が低いので
金1000をほどこして上げました。
劉備軍の番になったら在野から引き抜かないとと思って待っていたら
21国の董卓軍が攻め込んできました(>_<)
やっぱりこの状況見逃さないですよね(^^;
董卓軍は武将2人兵40000で攻め込んできました。
華雄とかだったら終わったと思い来た武将を見てみると
趙シンと
郭シでした。
孟達は強いのでいけるかも♪
まずは趙シンが近づいて攻撃してくるので迎え撃って戦い
じわじわと残り兵数に差が出てきて
ついに捕らえる事が出来ました。
一応配下に加えてあとは郭シだと思っていたら
郭シは退却してくれました。
何とか董卓軍退ける事が出来ました。
ここで劉備軍の番が来るまでに他の国が攻めてこないように祈りつつ劉備軍の番になりすぐに
38国の在野に下っていた李豊を引き抜いて38国に加えました。
あとは李豊の忠誠を上げないとですね。
これで192年1年の様子を終わります。
色々波乱万丈でした(^^;
次回は193年の様子をお送りします。
最後まで読んでくださってありがとうございましたm(__)m
それではまた次回に(^_^)/
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